人生には絶望してないけどね……
ロシア語は楽しい
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数学で極限というものが登場する。そこでε-δ論法が出てくるわけだが、死というものも極限であろう。
R上の連続関数f(t)(t∈R)を人生。オギャーと言った時刻をt=0、残念ながら永遠の眠りについた時刻をt=t0とする。するとf(t)は区間[0,t0)に定義される。なぜならt0において人生は存在していないからである。
しかし人間は死に近づいてゆく。つまり、∀ε>0,∃δ>0,|t-t0|<δ,|f(t)-死|<ε.と書けるであろう。そして生と死は連続しているといえる。
こんなことを、数学の試験勉強と現代思想のレポートを並行してやっていたら思いついたのである。
R上の連続関数f(t)(t∈R)を人生。オギャーと言った時刻をt=0、残念ながら永遠の眠りについた時刻をt=t0とする。するとf(t)は区間[0,t0)に定義される。なぜならt0において人生は存在していないからである。
しかし人間は死に近づいてゆく。つまり、∀ε>0,∃δ>0,|t-t0|<δ,|f(t)-死|<ε.と書けるであろう。そして生と死は連続しているといえる。
こんなことを、数学の試験勉強と現代思想のレポートを並行してやっていたら思いついたのである。
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読み始めてみたのだが、難しい。というわけでまだ少ししか読めていないし、読んだところも理解できていない。
世界は事実の総体で、事実は事態の成立で、事態は対象の結合らしい。
こういうものに対して「なるほど!」と言える人間になりたいものだ。
それにしても世界というものを捉えるのは難しいことであろう。世界の中心でなんか叫んだとか言ってるけど、では世界の中心とはどこなのか?自分にとっての世界の中心は自分なのかもしれないが、世界はもっと広いもののはず。宇宙全体を世界とも言えるかもしれないけど、宇宙という存在を越えたものを世界に含むことができるかもしれない。たとえば時間とかね。light-coneの外側だって世界かもしれない。
とまぁどうでもいいことを考えていられるのは幸せである。
世界は事実の総体で、事実は事態の成立で、事態は対象の結合らしい。
こういうものに対して「なるほど!」と言える人間になりたいものだ。
それにしても世界というものを捉えるのは難しいことであろう。世界の中心でなんか叫んだとか言ってるけど、では世界の中心とはどこなのか?自分にとっての世界の中心は自分なのかもしれないが、世界はもっと広いもののはず。宇宙全体を世界とも言えるかもしれないけど、宇宙という存在を越えたものを世界に含むことができるかもしれない。たとえば時間とかね。light-coneの外側だって世界かもしれない。
とまぁどうでもいいことを考えていられるのは幸せである。
今日買い物をしたら、お釣りが108円だった。このことについて、哲学的考察を加えてみよう。
108から想起されるのは、百八煩悩である。お釣りが煩悩?そうか、だって金をもらっているのだもんな。物欲のない人間はお釣りなんてもらわない、どころか買い物をしないではないか。
しかしそれにしても、百八煩悩って何なのだろう?煩悩の数は全人類共通で108なのか?いや、それは違うだろう。人によって異なるはずだ。ということは平均値か。俺は多分もっと多いだろう。ゼロが一つ足りない気もする。統計的に言えば外れ値かもしれない。よって俺は層別される。送別?それは残念。層別から送別。これもまさしくアナムネーシス。
哲学って楽しいよね。
108から想起されるのは、百八煩悩である。お釣りが煩悩?そうか、だって金をもらっているのだもんな。物欲のない人間はお釣りなんてもらわない、どころか買い物をしないではないか。
しかしそれにしても、百八煩悩って何なのだろう?煩悩の数は全人類共通で108なのか?いや、それは違うだろう。人によって異なるはずだ。ということは平均値か。俺は多分もっと多いだろう。ゼロが一つ足りない気もする。統計的に言えば外れ値かもしれない。よって俺は層別される。送別?それは残念。層別から送別。これもまさしくアナムネーシス。
哲学って楽しいよね。