人生には絶望してないけどね……
ロシア語は楽しい
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数学で極限というものが登場する。そこでε-δ論法が出てくるわけだが、死というものも極限であろう。
R上の連続関数f(t)(t∈R)を人生。オギャーと言った時刻をt=0、残念ながら永遠の眠りについた時刻をt=t0とする。するとf(t)は区間[0,t0)に定義される。なぜならt0において人生は存在していないからである。
しかし人間は死に近づいてゆく。つまり、∀ε>0,∃δ>0,|t-t0|<δ,|f(t)-死|<ε.と書けるであろう。そして生と死は連続しているといえる。
こんなことを、数学の試験勉強と現代思想のレポートを並行してやっていたら思いついたのである。
R上の連続関数f(t)(t∈R)を人生。オギャーと言った時刻をt=0、残念ながら永遠の眠りについた時刻をt=t0とする。するとf(t)は区間[0,t0)に定義される。なぜならt0において人生は存在していないからである。
しかし人間は死に近づいてゆく。つまり、∀ε>0,∃δ>0,|t-t0|<δ,|f(t)-死|<ε.と書けるであろう。そして生と死は連続しているといえる。
こんなことを、数学の試験勉強と現代思想のレポートを並行してやっていたら思いついたのである。
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