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人生には絶望してないけどね…… ロシア語は楽しい
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  数学で極限というものが登場する。そこでε-δ論法が出てくるわけだが、死というものも極限であろう。

  R上の連続関数f(t)(t∈R)を人生。オギャーと言った時刻をt=0、残念ながら永遠の眠りについた時刻をt=t0とする。するとf(t)は区間[0,t0)に定義される。なぜならt0において人生は存在していないからである。

  しかし人間は死に近づいてゆく。つまり、ε>0,δ>0,|t-t0|<δ,|f(t)-死|<ε.と書けるであろう。そして生と死は連続しているといえる。

  こんなことを、数学の試験勉強と現代思想のレポートを並行してやっていたら思いついたのである。
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無題
f(t)のというのがどういう値をとる関数でその距離がどういう風に定義されるかが、このままだとよくわかりませんよね。近代以降の認識論においてはこの関数の構成が一番問題になっているのだろ思います。あと一応数学的な突っ込みをしておくと、区間[0,t0)でfが定義されるなら、f(t0)=死というのが決まるかはわからないですね。

いずれにせよ、タイトルは示唆的ですが大学に入ると数学はたしかに哲学みたいになりますね。テスト頑張ってください。
r 2009/08/31(Mon)09:37:38 編集
無題
ありがとうございます。頑張ります。

数学も哲学も未熟なもので……
基本的には言葉で記述することを目指そうと思っていますが。
タイトルは、ヘーゲルの述べた理性と現実の一致についての格言のパクリです。
2009/08/31(Mon)17:06:15 編集
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